前回の記事では「フォルケホイスコーレがそもそもどんな所で、何が出来るのか」などを実体験と写真をまじえて簡単にお伝えしました。
今回はフォルケホイスコーレの歴史的な背景と、なぜデンマーク人がフォルケホイスコーレに行くのかを、考察も交えて簡単にご紹介いたします。
もくじ
フォルケホイスコーレのもとになるグルントヴィの教育思想
画像:N.F.S. Grundtvig – Wikipedia, den frie encyklopædi
フォルケホイスコーレが生まれたのは19世紀。
農民開放政策が進められていく中で、神学・教育・文学・政治・歴史といった様々な分野で活躍していたN.F.S.グルントヴィがその活動の中心となります。
グルントヴィは、国民の大多数を占める農民達が高いレベルの学問・知識を身に付け、自由に発言でき、官僚や知識人と対等に立つことが出来るようになって初めてデモクラシー(国民による国民のための政治が行われている状態)が機能すると考えていました。
また、彼は当時のデンマーク社会に「聖職者や学者のための学校は充分ある」のに対して、「社会を支える市民のための学校がない」として、「生きた言葉(Det levende ord)」を使って対話と相互作用を及ぼし合う「生のための学校(Skolen for livet)」、つまりフォルケホイスコーレの必要性を説きました。
そして、当時多くのデンマーク人がドイツ語を話していた南ユトランドにあるロディン(Rødding)に最初のフォルケホイスコーレを設立しました。
一部の特権階級の人が使っていたラテン語ではなく、デンマーク人の母語として親子や友人と語り合うために使われてきたデンマーク語こそ「生きた言葉である」とされています。
「生のための学校」であるからこそ「試験」が入りこむ余地はありません。
また、「生きるため」であっても職業訓練を導入することは「人間としての生」ではなく「利益のための生」なので認められません。
なぜデンマーク人はフォルケホイスコーレに行くのか
では現代のデンマーク人はなぜフォルケホイスコーレに行くのでしょう。フォルケホイスコーレの情報サイト「Højskolerne.dk」では、その理由は3つあると言われています。
自分を「知る」ことが出来るから
フォルケホイスコーレに滞在し、新しいことを学び、新しい人と出会い、対話することで「自分は何に向いているのか」「自分は何が好きなのか」を見つけることが出来ます。
自分で「選ぶ」ことが出来るから
授業と自由時間の明確な境目はありません。普通の学校と違って試験や成績はありませんが、学ぶことは全て自分で決める必要があります。
自分を「試す」ことが出来るから
自分が学びたいこと、進みたい道がなんとなくわかっている場合は「それが本当に自分に合っているのか」を試せる場所として、自分が何がしたいのかが全くわからなければ、色々なことを試して自分に合ったものを見つけることが出来ます。
留学後に真似できることはないかなと考えた
僕が実際に出会ったデンマーク人達は、高校卒業後や人生の転換点(仕事を辞めて次の仕事に就くまでの間など)にフォルケホイスコーレに来ていました。
ただ、自分のやりたいことがわからずに少し鬱気味になってしまってフォルケホイスコーレに救いを求めてきたデンマーク人もいれば、フォルケホイスコーレの思想に反すると感じる権威的な先生もいました(僕が外国人だから差別を受けただけかもしれません)。
グルントヴィの理想が全て実現しているわけではありませんが、フォルケホイスコーレに滞在することで、彼の教育思想が今も生き続けていることを感じられると思います。
日本で社会人として働き始めると、毎日の中で自分とゆっくり向き合い、本当に自分が求めていることを知り、自分で考える時間を持つことは難しいと感じてきました。
そこで、「日本でフォルケの真似ができることはないかな」と考えた結果、「損得に捕らわれずに自分で活動したい内容を考え、試し、対話をすることを通じて自分自身を知ることが出来る場所」として、北欧ヒュゲリニュースを始めとした様々なプロジェクトを立ち上げ、現在も活動を続けています。
まだまだ僕自身もデンマーク・北欧の教育に関して勉強中の身ですが、教育について「生きた言葉」を通じて語り合いたいと思って下さる方がいれば、お気軽にお声がけください!
参考:
N.F.S. Grundtvig – Wikipedia, den frie encyklopædi
the school for life
Oplyseren: Grundtvigs tanker om højskole, dannelse og uddannelse – Københavns Universitet
Hvorfor tage på højskole? – Højskolerne.dk