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デンマークの政界は大荒れ。MeToo世代の台頭とカルチャーチェンジ

画像:Det Danske Filminstitut

もくじ

トップポストたちがセクハラにより辞任

今、デンマークのニュースを騒がすのは、MeTooの話題。

2017年に、ハリウッドの大物が次々と暴かれていったのは、記憶に新しいのではないでしょうか。

それから数年たった今、デンマークの政界には「#MeToo第2波」が訪れ、大いに荒れています。

まず浮上したのは、社会自由主義党「ラディカーレ(Radikale Venstre)」の党首、モーテン・ウスタゴー(Morten Østergaard、44歳)。

同党所属で、国会のメンバーでもあるロッテ・ロッド(Lotte Rod、35歳)が、「党内のある同僚に、10年ほど前に太股を触られた」とカミングアウトしたことが発端に。

ウスタゴーは、「セクハラをした本人には警告をし、解決した」と完結させようとしたものの、後日、実はセクハラをしたのはウスタゴー本人だったことが発覚。

「ロッテ本人とは決着をつけていたものの、本人以外の人々に自分の否を認めなかったことは、党首としてふさわしくない」と党首辞任を表明しました。

続いてニュースを賑わせているのは、コペンハーゲン市長フランク・イェンセン(Frank Jensen、59歳)の辞任。

2011年のクリスマスパーティーを含め、2004年以降イェンセンにセクハラを受けたという、何人もの女性同僚が進み出ています。

これを受け、イェンセンは、市長を辞任。

30年にわたりキャリアを築いてきた政界からも退きました。

また、政界にとどまらず、テレビ局、新聞社や俳優など、セクハラを経験したという女性が次々と口を開き、MeTooについて、現在も多くの議論が交わされています。

古きルールの刷新

これらのニュースを聞いた私がまず思ったのは、「ついにデンマークにも来たか」。

というのも、男女平等が進むデンマークでも、これまでは特別な「文化」と「古い習慣」が残っていたからです。

以前勤めていた職場で、面白い出来事がありました。

2012年くらい、MeToo以前の出来事です。

ビールの祭典オクトーバーフェスの時期に、デンマーク人男性同僚から、部署内で働く同僚たち宛に、メールが届きました。

メールは、写真付きのジョークメールで、仕事には関係ないもの。

しかし、この写真が事の発端となります。

「王道」とも言うべきチロルの衣装を着た、金髪でお下げの女性が、真っ赤な口紅をつけ、胸の谷間全開で両手にビールジョッキを持っている写真。

コペンハーゲンオフィスでは、メールの内容は休憩時間の話題にも上がらず、わたしも、「またこんな写真選んでるよ。なんでかなあ」と思ったものの、ジョークとしてスルーできるメールでした。

ところが、アメリカにいる女性同僚たちの反応は180度違うもの。

このメールを、セクハラとして訴えるというのです。

何でも訴える文化があるアメリカにも驚きましたが、この写真を不快と感じるか否か、「罪」と感じるか否かは、文化によって違うのだと気付いたことを覚えています。

このほかにも、デンマーク男性からの「気まずいほめ言葉」や、話の節々にでるセクハラギリギリのフレーズ、そして、それが「OK」だと流される文化は、男女平等で知られるデンマークに住んでいながらも、男性社会を思わせる節がありました。

ちなみに、2019年12月に発表されたWEFの「2020年男女平等ランキング」では、デンマークは14位。

そして日本は、2018年より11位ランク落ちの121位。

官僚数と国会議員数のランクがかなり低いことで、順位を落としています。

セクハラとは一体何か?

DR(Danmark Radio、日本でいうNHK)の専門家が集まる論争番組でも、フランク・イェンセンのケースについてヒートアップした議論が繰り広げられました。

論点の一つに上がったのが、「ハラスメントは受ける側の主観に大きく関わってくるのではないか」ということ。

すなわち、ある行為(または言葉)がセクハラかどうかを決めるのは、受けた側。

イェンセンのケースは、「酔った勢いに任せた『下手くそな口説き』が大失敗に終わっただけではないか」という意見も。

しかし、皆が賛成したのは、「太ももに触るのはセクハラ」「ダンスパーティーでも、首筋に顔を寄せるのはセクハラ」「容姿を褒めるのはセクハラ」など、何がセクハラで何がセクハラではないという、マニュアル的な「定義」に論点がフォーカスされるのは、危険だということ。

今後、非公式でも、若い女性を雇いたくないという職場が出てきたり、前もって面倒なことを避けるため、部下や同僚を選ぶときに不要なフィルターがかけられる恐れがあります。

ゆくゆくは、冒頭で述べたアメリカのように、何でも訴訟に持ち込む文化になってしまうかもしれません。

また、これを踏まえ、メディアの責任も問われています。

メディアは、MeTooのケースを公表するとき、被害者を匿名にするべきではないというのです。

匿名では、責任を問われている側が、自分を弁護する機会が与えられず、双方の意見を平等に判断する機会がありません。

メディアの役割について、日本でも論争されることもありますが、このように被害者を極端に擁護せず、オープンに議論されるのは、デンマークらしいと感じます。

論争の焦点。一番の問題は、一体何なのか?

論争の中で焦点となっているのは、「一番の問題は、不道徳な行為が『そういうものだから仕方がない』と受け入れられていること」。

市長イェンセンも、今回の訴え以前にも、セクハラ行為に対して苦情を訴えられ、メディアで報じられたことがありました。

しかし、何度も同じことを繰り返しているにも関わらず、本人も「市長としての仕事の光跡に比べたら、それを理由に辞める必要はない」との理由から、それ以上のとがめを受けることはなかったのです。

謝って逃れることで、政界も世間も目をつぶってきた過去。

しかし、2020年、「権力を行使してハラスメントを行うことはあり得ない」と、今まで「許されていた古い文化」は、立ち上がるMeToo世代によって覆されたのです。

ありえない現実が「普通」だったアメリカの例

ハラスメントが「当たり前」として受けられていた「面白い」例があります。

MeToo以前の2005年、ロサンゼルスに数ヶ月住んでいたときです。

カフェのテラス席で一息付いていると、隣のテーブルを囲んで座っていた男女5~6人の会話が耳に入ってきました。

皆、俳優らしく、次のオーディションについて話しています。

しかし、この会話の内容は、耳を疑うものでした。

「次のオーディションで、プロデューサーとセックスをすべきか否か」を、若い俳優たちが、冗談抜きで、当たり前のことのように話し合っています。

そして話し合いの結果、彼らが出した結論は、「したほうがいい」

この、信じられないような会話の内容と光景は、15年たった今でも脳裏に焼き付いています。

これは、極端な例だと言えるかもしれません。

「『枕営業』って、根拠のない作り話ではなかったのね」と、他人事で済ませられる話だと思う人も多いでしょう。

これは過激な例ですが、程度に関わらず、ハラスメントは政界やメディア界以外、私たちの日常にもあふれているのではないでしょうか。

なぜ今まで、性差別やセクハラは許されてきたのか?

先述のDRの論争番組の出席者の一人に、リット・ビャーゴー(Ritt Bjerregaard)がいました。

既にリタイアしている79歳のビャーゴーは、女性政治家の前駆者。

イェンセンが引き継ぐまでの2006年~2009年にコペンハーゲン市長を務め、それ以前にも、教育大臣や農林水産大臣、欧州委員会のメンバーを務めるなど、政界キャリアの長いベテランです。

そんなビャーゴーに、司会は、誰もが聞きたい質問をしました。

「新たな世代の女性たちが立ち上がり、5年前・1年前には見過ごされていたことが、容認されなくなった。しかし、なぜあなた方(前駆者の女性政治家たち)は、政界に参入した30数年前から今まで、政界での「性差別文化」を受け入れ、何もアクションを起こさなかったのか?」

それに対し、ビャーゴーはこう答えます。

「私が政界でのキャリアをスタートした70年代は、ほぼ完全な男性社会で、その中で上手くやっていくのは容易ではなかった。私を含めた女性政治家たちが当時起こした『アクション』は、その男性社会の中で、誰が危険か、誰を避けるべきか知り、窮地に陥らないためにどうしたらいいかを知るということ。その当時は、その男性社会や差別的状態をひっくり返し、変化を起こすことができるとは想像だにしていなかった。今、こうして若い女性たちが前に出てきてることは素晴らしいことだ。」

♯MeToo世代の台頭。カルチャーチェンジは加速するか?

リット・ビャーゴーのコメントからも見えるように、カルチャーチェンジは、段階を経て、そして長い間をかけて起こるもの。

長年にわたり容認され、続いてきたことに変化を起こすのは、それがたとえ「間違ったこと」であっても、容易ではないことを裏付けます。

加えて、受け入れる側や社会、タイミングも熟していないといけない。

冒頭で書いた政治家2人のセクハラも、何年も前に起こしたセクハラ行為が今になって明るみに出てきています。

その当時は言えなかったものが、被害者である本人が今にして堂々と出てこれるのは、時代の変化。

イェンセンも、「古いルール」がまだ通用するのであれば、辞任に追い込まれることはなかったでしょう。

デンマークでは、日本に比べて断然若い政治家が多く、女性も多くいます。

日本で、年輩の男性や芸能人が顔を連ねる選挙ポスターを見慣れている私には、デンマークに移住して初めての市議会選挙では、連ねる顔の若さに度肝を抜かれるほどでした。

2011年にデンマーク初の女性首相として就任したヘレ・トーニング-シュミット(Helle Thorning-Schmidt)は、就任当時45歳。

現在首相を務めるメッテ・フレデリクセンも42歳の女性。

スウェーデンやノルウェーに比べ、女性の管理職がまだまだ少ないと言われるデンマークですが、日本人の私からすると、政界では女性の活躍が目立つと感じます。

そして、MeToo世代が前に出てきたことで、今までまかり通っていた「古いルール」は徐々に姿を消し、「新しいルール」に書き換えられ、カルチャーチェンジは加速することになるでしょう。

日本はデンマークと同じ道をたどれるか?

比べて、男女平等ランキング121位の日本は、だいぶ遅れをとっています。

現在の日本は、リット・ビャーゴーが説明した、70年代の状態に匹敵するのではないでしょうか。

そうであれば、日本が男女平等ランキングで121位から14位に近づくためには、単純に考えると40年かかるということになります。

何れにしても、デンマークの例からも見て取れるように、変化のスピードは望むよりはるかに遅く、長い月日がかかるのではないかと想像できます。

変化を起こすためには、声を上げることが重要。

今後、デンマークの変化も、日本の変化も興味深く見守り、そして変化の一員となりたいと願っています。