画像:Mig og min næse | Filmcentralen
日本ではここ数年、ハーフやクォーターのタレント・モデルの方をテレビや雑誌でよく見かけるようになりました。
といっても「日本人らしくない外見」が、いつでも好意的に受け入れられるわけではありません。
そしてそれは北欧でも同じこと。
そんな「外見と国籍に基づいたアイデンティティ」の間で葛藤するスウェーデン人女性を追いかけたドキュメンタリー「Mig og min næse(私と私の鼻)」を見て、これから日本が直面するであろう「移民問題」について感じたことを少しまとめてみます。
もくじ
「スウェーデン人の鼻さえあれば、悩まなくてすむ」
スウェーデン人に帰化したハンガリー人の父、イギリス国籍を持つインド人の母を持つスウェーデン人女性シスカは、スウェーデン生まれのスウェーデン育ち。
スウェーデン語もネイティブとして話せるにも関わらず、そのスウェーデン人らしくない外見から「どこの国から来たの?」といつも聞かれてしまいます。
そんな経験から、シスカ自身は「自分がスウェーデン人のように見えないのは自分の鼻が原因だ」と思い込み、整形手術をして平均的なスウェーデン人の鼻を得ようと考えます。
「ABBAでもいつも人気なのはダークヘアーのアンニではなく、ブロンドのアグネッタ。おとぎ話を見ても黒髪はいつも魔女。さらに自分の鼻は”かぎ鼻”なので魔女そっくり。」と語るシスカ。
外見が違うだけでスウェーデン人扱いされない状況に苦しみながら、友人と整形手術について話し、自分が何者なのかを知るために自身の民族的ルーツを探り、整形外科とのカウンセリングを重ね、最後は「私の鼻も、立派なスウェーデン人の鼻だ」と、自分自身を受け入れることが出来てドキュメンタリーは幕を閉じます。
見た目こそ大切という事実
僕(筆者)の父は日本生まれ、日本育ちながら国籍は台湾人。母は日本人なので、僕は台湾と日本のハーフとなります。
僕は日本生まれの日本育ちなので、国籍は日本を選んでいます。
台湾の血が混ざったところで見た目にはわからないのですが「純粋な」日本人ではないという理由で、イヤな思いをしたこともあります(その経験から自分が「何人なのか?」と迷ったこともありました)。
しかし「人種差別」を受けるのは日本に限ったことではありません。
デンマーク留学中でも「アジア人」ということで、「純粋な」デンマーク人から露骨な差別を受けたことがあります。
世界中どこに行っても、所属するコミュニティ内で「見た目が違う」だけで差別する人がいることは、残念ながら事実です。
個人的な経験上、都市部よりも郊外に住む、少し上の世代の方の中には多様な人種に対して不寛容な人がいらっしゃる印象です。もちろん若い世代でも、みんなが多様性に寛容というわけではありません。
「人は見た目じゃない」と言いますが、中身を知る前にまずは外見で判断せざるを得ません。
顔つきが似ていればなんとなく仲間意識が生まれますし、違っていれば違和感や時に恐怖心を覚えてしまうのは、今も昔も変わらない感覚なのでしょう。
デンマークの有名な童話作家アンデルセンに登場する「人魚姫」はポジティブに、上半身が魚の「半漁人」はネガティブに捉えられることが多いことから、感覚的に納得出来る点だと思います。
迫り来る多様性を受け入れられるか
先日のEU(欧州)議会選挙にてEUおよび移民へ反対する政党が多くの票を獲得している所から、日本よりも多様な人種に寛容に見えるEU諸国ですら、今の所は「多文化主義」に対する問題を抱えているようです(「移民」を共通の敵にして不満のはけ口にしている部分もあると思いますが)。
日本でも今年2月に安倍首相が「(移民受け入れに関しては)国民的議論を経た上で、多様な角度から検討する必要がある」と述べたことから、移民問題に関する議論が少しずつ熱を帯び始めています。
日本としては、他の国と同じく「優秀な移民だけを受け入れたい」というのが本音だと思います。
移民受入の制度面の整備もさることながら、日本は「感情面」での準備が出来ていないように感じます。
政府がどう動こうと、グローバル化の波は止めることは出来ません。
今すぐに日本へ移民が入ってこなかったとしても「自分とは違う人種」の人と関わらずには生きていくことは出来ない時代です。
だからこそ、止められない大きな流れに反発するのではなく、個人レベルで出来る限りの準備をした上で、流れに身を任せられるかがこれからの時代を生きていく上で重要だと考えています。