ヒュゲリなコラム

ごめんなさいは恥を生む。デンマーク保育士が教える「ごめんなさい」との付き合い方

画像:Pixabay

もくじ

ごめんなさいを強制しない

娘が1歳を過ぎ、外で近所の子たちと場を共有して遊ぶようになった頃、子ども同士のぶつかりあいをどうサポートしたらいいかを意識し始めました。

そんな中気づいたのが、1歳から4歳くらいの子どもが対立したとき、親たちが子どもに「ごめんなさい」と言わせるシーンです。

何か違和感を感じて、保育士カリーナに相談すると、「『ごめんなさいと言いなさい。謝りなさい』というのは古い教育習慣から来るもので、必要ではない。小さい子にはごめんなさいの意味が理解できない」と言います。

さらに、近所に住む保育士ヨーナスは、「ごめんなさいを強制的に言わせるのは『子どもに恥をかかせることになる』から賛成しない」と。

それまで、ごめんなさいと恥との結びつきを考えたことはありませんでした。

しかし、私と記憶の中にあるごめんなさいとの関係も、あまりポジティブなものではありません。

幼稚園ぐらいの頃、何かいけないことをすると、外に出されました。

中に入れてもらうのと引き替えに、「どうしてごめんなさいなのか」をきちんと説明出来なくてはなりませんが、幼い私は、一体何に謝らなくてはいけないのかわかりません。

そこで、親の顔色をうかがいながら「とりあえず」ごめんなさいと言い、許してもらえるだろうもっともな理由を並べたのを覚えています。

古い記憶の中で、その「いけないこと」が何だったのかは全く覚えていないのですが、受けた「罰」、そして幼心に「愛されるためにとった行動」は、今でも鮮明に思い出します。

そんな経験から私は、保育士2人が言うように、「ごめんなさいと言いなさい」は古い考えで、訳もわからず言わせるごめんなさいが良い結果を生まないということは納得できるし、同感なのです。

押した押された、叩いた叩かれた

今、娘の幼稚園には、習慣的に噛みついたり叩いたりする子はいないのですが、思い通りにいかないことがあると、叩いたり、ドンと押したりするシーンは、送り迎えの際にもよく見ます。

こんなとき保育園・幼稚園では、謝らせることなく、別の方法で解決しています。

娘が2歳を過ぎた頃、半年くらい年下のユリアが保育園に入園しました。

ユリアは娘のことが大好きで、私のことも気に入ってくれていたので、私が迎えに行くと「ハナちゃんのママ!」と、私めがけて走って来ました。

その様子がとても愛らしく、私は駆け寄ってくるユリアを抱きしめて歓迎していたのですが、ある日娘が激しく反発しました。

「No!わたしのママよ!」と言って、突然ユリアを叩いたのです。

びっくりした私は、すぐに娘の目を見ながら「人を叩くのはいけないよ」と言いました。

その目の前で、ユリアは泣き出しこそしなかったものの、何が起こったか理解できないような表情をしています。

私も、どう対応したらいいか困ってしまいました。

叩くのは良くないことだけど、娘がどうしてユリアを叩いたのか気持ちが理解できるため、一方的に怒るのは間違っている。

だからといって、娘が嫌がるからと、今後ユリアを無視するのも腑に落ちない。

どうしたらいいかアドバイスをもらうため、保育士ロッテとカリーナに相談しました。

すると2人は、「ユリアがあなたを気に入っているのは気づいていた」と言いました。

その上で、叩いたときは、まずは娘を連れてその場から立ち去り、2人を離すことを提案します。

どちらかが泣いたり、良くない雰囲気の中に子どもが「居続ける」のは好ましくないと言うのです。

「叩いたら痛いよ。ユリアは嫌がってるよ(Det gør øndt. Det kan hun ikke lide./It hurts. She doesn’t like that.)」と言う以上その件は追求せずに、気分を変えるために別の遊びを始めるといいと言います。

叩いた子どもをしかったり責めることはありません。

フォローは誰の役目?どちらも平等に

でも、すぐにその場から立ち去ると、叩かれた側の子をそのまま放っておくことになってしまう。

それについてもどうしたらいいか相談しました。

するとカリーナは「ぶつかりやすい2人を一定の期間離したり、ケアするのは保育士の役目・仕事だ」と断言。

加えて、「叩かれた方の子は、保育園では保育士がケアするのでフォローの必要はない」と言います。

けれども、園外ではニュートラルな立場の保育士はいません。

こんな時にどうしたらいいか聞くと、

「フォローはそれぞれの親の役目。でも、もしあなたもフォローしたいのであれば『大丈夫?』と相手の子に聞いてハグしたり、背中に手を置いたりしても良い」

「そういった親の行動を見ると、『ああ叩くのは良くないんだ』と、自然と気づくだろう」と答えました。

「ごめんなさい」という言葉自体に焦点が当てられるのではなく、「大丈夫?」と相手の子を気づかうことで、自分(子ども)の行動が相手をどういう気持ちにさせるのか気づく手助けをしてあげられるのです。

その上で、叩いた本人には理由があるのだから、それもフォローが必要。

私の娘の場合は、自分のママが取られてしまうかもしれない嫉妬と恐れ。

保育園側では「少し落ち着くまで、あなたが迎えに来たときは、ユリアを保育士が他のところに連れて行くようにしましょう」と園内にコミュニケーションしてくれました。

近所に住む保育士のヨーナスにも相談すると、

「他の子に挨拶したり、親しくしたりすることをやめる必要はない。それを見ている子どもは、それが他人に対する接し方として、親を見て学ぶから」

「でも、まず保育園に迎えに行ったら、真っ先に自分の子のところに行って、抱きしめてコミュニケーションをとり、そのあとに他の子に挨拶するのがいい」と言います。

なるほどと思いました。

そうすることで、娘が、自分は愛されていないという誤解をしてしまうことが避けられる。

同時に、私は社交性をキープしつつ、自分の感情やしたいことを押さえる必要がありません。

言葉での表現が未熟で、言葉の代わりに無意識に手が出てしまう子どもだからこそ、彼らの目線にたったケアが必要。

叩いたこと自体を頭ごなしにしかりつけるのではなく、どうして叩いたのかの気持ちを受け止め、子どもが自分の気持ちや行動を理解する手助けをするやり方は、親にとっても、子どもにとっても健全なアプローチなのだと学びました。

このアドバイスと保育園でのサポートのおかげで、今でもユリアと娘は良い関係を保っています。

意外な理由も。幼児が叩くのはなぜ?

元気がいい3歳のフィリップは、他の子を叩いたり押し倒したりしまうことがあります。

私も、幼稚園でその現場に何度か出くわしました。

ある時、娘はフィリップとエドガーと3人で遊んでいたのですが、エドガーにおもちゃを取られた娘が泣き出しました。

気づいた私は泣いている娘の方に向かいます。

すると、私がたどり着くまでの間、関係がないはずのフィリップが、泣いている娘に追い打ちをかけるかのごとく、娘を叩いたのです。

もちろん叩かれた娘はさらに泣きます。

私は、フィリップを責める感情はありませんでしたが「ああ、またフィリップが叩いた」と思いました。

すぐに娘を連れて2人から離れましたが、そばにいたフィリップのパパは、申し訳なさそうな顔をしています。

そして、「ハナちゃんにごめんなさいと言って」とフィリップの手を引いてこちらにやってきました。

私は、冒頭でも書いたように、あやまらせる必要はないと思っているのですが、どうしてフィリップが叩いたのかは気になります。

フィリップのパパも悩んでいる様子。

「『たたき癖』についてはわかっているがどうしたらいいかわからない」と保育士に相談していました。

すると、こんな答えが。

「フィリップは言語の発達が少し遅いから、言葉で表現できずに、代わりに叩いてしまうんだろう」

「それに、近くで誰かが泣きだすとびっくりしたり、泣き声をうるさいと感じたり、居心地が悪くて叩いてしまうのかもしれない」

「幼稚園でもそれはサポートする。大丈夫。年齢的なものだから」と、フィリップのパパを安心させます。

視点を変えると気づくこと。子どもと大人の違い

他に、こんなエピソードもあります。

積み木遊びでのぶつかり合いも良くあることです。

ある時、アーノルドがつみきを積み上げて遊んでいると、それをトマスが倒しました。

せっかく積み上げたつみきを倒されてしまったアーノルドは泣き出します。

すると、保育士リーネはこう言いました。

「あら、あなたたちは2つの違う遊びをしているのね。アーノルドは積み上げる遊び、トマスは倒す遊びね」と倒した方のトマスを責めません。

そして、それ以上大げさにせず、すぐに2人が隣同士でつみきで遊ぶサポートをします。

この一言は目から鱗でした。

「そうか、トマスがつみきを倒すのは、一生懸命積み上げたアーノルドの塔を壊すのが目的ではないんだ」と。

2人が違う遊びを同時進行しているためにおこる「すれちがい」のようなぶつかり合いがあるとは、それまで考えたことがなかったので、考えさせられました。

ごめんなさいは誰のため?

このような体験から、「ごめんなさいの目的は何なのだろう」「ごめんなさいは一体誰のためなんだろう」と考えるようになりました。

保育士カリーナは、以前3歳から5歳の子どもがいる幼稚園でも働いていたのですが、そこでは、日常的に「形式だけのごめんなさい」があったそうです。

他の子をわざと押したあと、真っ先にごめんなさいと言う子や、ケンカに大人が介入すると、開口一番に「もうごめんなさいって言ったよ」と、ごめんなさいを言うことだけに焦点が当てられるケースもあったと言います。

私もかつて、子どもとして「その場をやりすごす、大人を納得させるためのごめんなさい」を学びました。

それとは対照的に、大人になってから学んだのは、子どもにごめんなさいを言わせる必要はないという考え方。

けれども、大人の世界ではごめんなさいには様々な役割があります。

相手の子や親に悪いから謝るごめんなさい。

場を円滑にするために必要な「潤滑剤」のごめんなさい。

謝るのは常識という「社会マナー」のもと、子どもに謝らせない親を非常識だと思う人もいると思います。

人それぞれ考え方は違うでしょう。

けれども、我が家では、幼い子に形式的にごめんなさいを「言わせる」必要がないという考えに基づいて子育てをしています。

ごめんなさいにつながる理由や気持ちを理解した上で「自主的に口にするごめんなさい」につながって欲しいという考えです。

今後の「ごめんなさい」との付き合い方

そんな中、3歳半を目前にした娘が、Undskyld(ごめんなさい)を言うようになりました。

幼稚園でも家でも「ごめんなさいと言いなさい」と教わっていないのに、他の人が言うのを聞いて覚えたのでしょう。

こうして娘と「ごめんなさい」との付き合いが始まりました。

まだ言語の発達段階で、色々な言葉や表現を試している真っ最中の娘ですが、今後、成長過程で「ごめんなさい」との付き合い方が変わるのは必至です。

ただ、今の段階では、ごめんなさいを強制するつもりはありません。

相手や自分がどんな気持ちになるのかを繰り返し教えることによって、「ごめんなさい」は自然と出てくるのだと、わたしたちは保育士のアドバイスを続けるつもりです。