ヒュゲリなコラム

退屈は脳の栄養?デンマーク流余暇の過ごし方

画像:Pixabay

もくじ

近所は「もぬけの殻」

7月に入り、デンマークは夏休みの真っ最中。

娘の通う幼稚園は、3週間のお休みです。

近所でも、家族ぐるみの友だち6家族は、こぞってサマーハウス(個人所有の別荘や貸別荘)や「ファミリーホイスコーレ*」に行き、留守にしています。

そのため、遅れて夏休みをとる娘は、数週間、同年代の遊び相手がいません。

大人と一緒に遊ぶのばかりではつまらないだろうなと思うのですが、退屈は「健康的」ということを学んだので、ストレスにはなりません。

色々な遊びとバランスを取りながら休みを過ごしています。

*乳幼児や子供も親子で一緒に参加でき、スポーツやクリエイティブな遊びを家族みんなで楽しめるホイスコーレ

保育士の視点。ひとりぼっちや退屈はネガティブではない

娘が幼稚園に通い始めた、慣らし保育期間中に見た光景があります。

保育士は、ほぼ初対面の子どもたちそれぞれの性格を見極め、個々のペースや、やり方にあったコンタクトの取り方を見つけるため、時間を費やします。

娘も含め、保育園から同時に繰り上がった、馴染みの3人が同日にスタートしたのですが、この3人は三者三様。

ヘンリーが積極的に保育士とのコンタクトを求め、新しい環境に信頼と安心を見出していく反面、娘は私と離れず、周りを観察。

そんな中、3人目のヨハンは、2日目からは親が同伴せず、独りになりました。

1人で遊具の上に寝そべり、天井を見ながらぶつぶつ独り言を言っています。

そんなヨハンを見ていた私はこう思いました。

「独りで遊んでいてかわいそうだなあ。寂しいのかな。他の子たちと一緒に遊べたらきっと楽しいのに」

すると、私は思っていたことを口にしたわけではないのに、保育士ローネはこう言いました。

「ヨハンは自分1人でいることを楽しんでいるようね。ヒュッゲな時間ね」

これには驚きました。

ローネの印象は、私の受けた印象とは180度違っていたからです。

そこで、どうしてそう思ったのか尋ねました。

すると、ローネはこう答えます。

「ヨハンは必ずしも退屈しているわけではない」

「初めての場所や体験をしたり、人が大勢いたり、色々な『印象を受け取る』と、ブレイクが必要なこともある」

「自らすすんで皆から離れ、部屋の端っこで壁に向かって歌を歌ったり、独り言を言う子もいる」

「単純に、1人で遊ぶことを選ぶ子も。四六時中はよくないが、時折独りになるのは子どもにとって『健康的』だ」と。

社交性を重んじるデンマークでも、幼少時から、自ら選ぶ独りでいることの大切さを尊重し、『健康的』と断言する。

ヨハンの行動を全く逆に解釈した、私とローネの視点の違いは、私にとって興味深いものでした。

「楽しい」の軸と評価の違い

私がデンマークに越してきて間もない頃、デンマーク人の知人とお茶をしました。

よく知っている人でもなかったので、ただ当たり障りのない話をし、盛り上がって爆笑するわけでもなく、コーヒーやケーキの味も普通。

特に記憶に残ることがないような「可もなく不可もなく」のひとときでした。

しかし、この後の別れ際に彼女が言った言葉と態度は、強い印象を残します。

「今日はどうもありがとう。とっても『Nice』な時間だったわ。」と満面の笑みで言われたのです。

「えっ?」と、私は呆気にとられました。

「あれ。こんなのでいいんだ。。」

同じ時間を過ごしたはずなのに、私と相手の受け取り方は、まるで別行動をしたような違いです。

この時間に10段階評価をつけるとしたら、私は5ぐらいのところが、彼女は10点満点のようなリアクション。

わざと大げさに誇張したり、偽りのある感じは全く受けません。

これは、当時は不思議な感覚でした。

しかし、月日が経つにつれて、これは「ヒュッゲの醍醐味」であり、デンマーク人の「幸せのエッセンス」なんだ、とはっきりとしたつながりがみえるように。

そして今では、これが「幸せをもたらす理想的な時間の過ごし方」のひとつであると、体感として受け入れるようになりました。

目的のない、ゆったり時間の大切さ

少しづつ暖かくなり、冬の間隠れていた太陽が顔を出す4月。

コペンハーゲンの街中にある、公園や芝生のあるオープンスペースは、日が長くなるにつれ、様々な年代の市民が集まり、賑わいます。

そんな中で目を引くのは、10代や20代の若い人たちが、ごろごろしたり、ボールで遊んだり、ビールを飲みながら「クッブ(木の棒を投げ合うスポーツ)」で遊ぶ光景。

(WHOの調査によると、ヨーロッパの15歳のうち、一番アルコール摂取量が多いのはデンマークとも問題視されていますが。。)

そんな夏とは打って変わり、暗くて寒い冬。

外で遊ぶことが限られるので、遊び方も変わります。

冬の間は、カフェが大活躍。

散歩中、路上からよく目にする光景は、ろうそくの灯るカフェで、延々とボードゲーム「バックギャモン」をしながら、まったりしている若者たち。

みな、時間を気にせず、ゆったりした時間を過ごしています。

また、季節を気にせず目にするのは「散歩デート」。

市の中心にある、3つ並んだ人口湖の周り(1周 約6,4km)をぐるぐる歩くのは、王道の散歩コースです。

ティンダーで知り合った初デートのカップルや、ベビーカーを押したパパ同士がコーヒーカップを持って散歩しています。

このスローライフに貢献しているのは、街のど真ん中に、遠出をしなくても行ける緑に囲まれたオープンスペースが多数あることだけではないと思います。

美術館や動物園、水族館など、目的を持って行く場所でも共通しているのは、「Excitenment」より「hygge」、ゆったりした時間の楽しみ方に比重が置かれていること。

イルカショーもない水族館では、館内に海に面したピクニックスペースがあり、子供が遊具で遊んだり水遊びをしながら、持って来たお弁当を食べられる。

また、その隣には土でできた小さな池があり、網を使ってアメンボやゲンゴロウなどの水生昆虫を時間をかけて採り、虫メガネで観察できる。

コペンハーゲンで生まれ育った人たちには「当たり前」であろうこういった空間は、外から来た私にとっては、何年経っても新鮮です。

大都会、東京での過ごし方

これらの、コペンハーゲンではごくありきたりの光景が目に付くのは、自分が中高生の時の過ごし方とは違っているからだと思います。

東京出身、都会っ子の私は、当時、友だちと会うときは大抵パターンが決まっていました。

ー 買い物に行く
ー カラオケに行く
ー ゲームセンターに行く(プリクラを撮る)
ー コンパをする
ー 美味しいケーキを食べに行く

大体、何かメインとなる目的やエンターテイメントがあり、それを軸に会っていました。

目的がないときは、とりあえず新宿や渋谷に出てぶらぶらしたり、店をまわったり、刺激を求める。

休憩するカフェでは、並んで待っている人がいたり、カラオケも時間制。

若者特有とも言えるのでしょうが、時間を持て余してゆっくり過ごした記憶より、時間に制限された記憶が上回ります。

理想の休日とは?

そんな私の「理想の休日」も大幅に変わりました。

年を重ね、子どもができたこともあるかもしれませんが、デンマークに住むようになってから確実に変化がありました。

みなさんは、金曜日に「週末は何をするの?」、月曜日に「Niceな週末だった?」と聞かれたことはあるでしょうか。

天気の話題と同様、「ただの会話の種」である2つのシンプルな質問ですが、デンマークに引っ越してきたばかりの頃、わたしは、毎週必ず聞かれるその質問に、一時期嫌気が指したときがありました。

なぜか、答えるのが苦痛になってしまったのです。

ディスニーランドに行く、温泉に行く、雑誌で紹介されたスイーツを食べに行く、というのは「へえ、いいなあ」と言う答えが想像できて言いやすいけれど、「家で何もしない」とは言いにくい。

日本で働いていたときは、あくせくした毎日を過ごし、休みの日は仕事の疲れを癒すか、思いっきり発散する、というのがおきまりのパターンでした。

そんな生活は、デンマークでは一転。

8時〜4時、週37.5時間労働に感謝する一方、スローな毎日は退屈でもありました。

東京での毎日とは違い、刺激を求めて毎週末のように集まる人は希少だからです。

そんなある日、何の気なしに「今週末は何もしない」と言いました。

すると、予想外に「とってもいいね」という答えが返ってきたのです。

休日に何もしなかったり、本を読んだり、公園でのんびりしたりするのは最高の休日。

それまでの価値観がチャレンジされたエピソードは、記憶に残っています。

脳みそに栄養を!スローな時間の勧め

デンマークに来たばかりの頃は、スローな毎日を退屈だと感じていた私。

「疲れているから休む」という、「必要に迫られた何もしない」ではなく、「スローを楽しむことが目的の何もしない」は、デンマークに住むようになってから学んだものです。

そんな私も、今では「普通にお茶をする」に10点満点をつけれるようになりました。

この「地味」ともいえる日常の普通を楽しめる「技術・才能」は、デンマーク人の幸せの秘密だと思います。